東洋思想から考えるジェンダー論①

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このテーマは、3回に分けて書いていきます。今回は第1回です。

ジェンダー発言にまつわる炎上

NTTの澤田純社長が入社式のあいさつで、「男女で能力や特性の得意な分野が違う」などと発言したことがメディアやSNSで大きく取り上げられました。平たく言えば炎上です。。

そういえば、東京オリ・パラ大会組織委員会森喜朗会長(当時)も「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という趣旨の発言をし、それが原因で辞任しましたね。。

この手の炎上はなぜ無くならないのでしょうか。批判して、炎上して、時が過ぎたら忘れられてまた起きて、、私たちは学習する必要があります。今回はこれらの問題について東洋思想の観点から考えてみたいと思います。もしかしたら私たちも炎上するかも知れませんが。。あえて切り込んでみます。

社会的性別と生物的性別

まず人間の性別を定義する際に、漢字の場合は、社会的にも生物的にも、人間である限り男と女に区分されます。動物は雄と雌に区分されます。

これが英語では、社会的性別(gender)と生物的性別(sex)によって区分名が変わります。前者の文脈では男女はmanとwomanに区分され、後者ではmaleとfemaleになりますね。動物も後者で区分されます。

なお近年では、性的な先天的志向と後天的嗜好は異なる場合があること、性別は二極ではなく勾配があることなど、その多様性が社会で認知されていることを添えておきます。

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整理すると上の表のようになりますが、ここで男/女と雄/雌、man/womenとmale/female、それぞれの区分領域が漢字と英語で違うことにお気づきでしょうか。この違いに、実は炎上の原因があるのではないかと考えています。

男女性別という概念

そもそも「男」「女」という漢字は、紀元前1300年ごろから使われ始めた甲骨文字の中に、既にその原型があります。

「男」は上部が「田んぼ」で、下部は「畑を耕す農具」や「男性器」とする説があります。いずれにしても農耕作業における力強さを表現しているといえます。

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男(甲骨文字)

「女」は左を向いてしとやかに跪(ひざまず)く様子、左部の突き抜けは胸部、上部の突き抜けは頭部の装飾品を表すとされています。跪く姿は、神霊に仕えるためともいわれています。

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女(甲骨文字)

こうして男女の漢字の成り立ちを見ると、生物的な違いに加えて、社会的関係性も含めて表現されているように思えます。肉体性に優れる「男」は主たる労働者であることを示し、精神性に優れる「女」は神事を司るなど、言い換えれば、生物的性別に包含される形で社会的性別が存在しています。

ジェンダーという概念

次にジェンダー(gender)という言葉について考えてみます。諸説ありますが、元々は生物的性別(sex)と自身の性認知が一致しない人が出てきたことから、男と男らしさ、女と女らしさをそれぞれ区分するために1970年代の西洋で定着し始めたとされています。また日本では、1986年に男女雇用機会均等法が施行された背景から、1990年代に社会的性別という意味合いで定着し始めました。

一方で、社会的性別が生物的性別と切り離されたことにより、性別による分業思想からの脱却として、「性別による役割制限や差別を無くし、自らが望む選択をできる」ジェンダーフリーという考え方も生まれ、徐々に市民権を得てきました。

前提の違いが炎上を生む

さて、冒頭の炎上事例に戻ります。まず前提として、社会的性別(gender)と生物的性別(sex)の捉えかたについて、話し手と聞き手の認識が違います。

話し手が男女の能力や役割の違いについて触れたとき、聞き手は「(社会的性別において)能力や役割の差があってはならない!」や「男女だけに留まらずそれと異なる人はどうする?」などの反応がありました。しかし、これらの反応は話し手にとっては「(生物的性別においても)能力や役割の差があってはならない!」との批判に聞こえてしまうのではないかと分析します。このように性別区分における前提が違うままに相手の発言に反応してしまうことが、最終的には炎上につながるのではないかと考えられます。

次回予告

東洋では社会的性別と生物的性別を区分せず男女と表します。西洋では社会的性別(gender)と生物的性別(sex)を区分し、前者はman/womanと、後者はmale/femaleと呼び分けます。今回は、その違いが生み出す炎上について考えてみました。

では、社会性と生物性を切り分けた西洋では、どんなジェンダー論が発達していったのでしょうか。今やジェンダーフリージェンダーレスを求める西洋でも男女不平等は存在していました。2回目はその点についても書いてみたいと思います。

車文宜&手計仁志