父の日に考える父子教育

皆さんは、子供の成長において何が一番重要だと考えますか?理想を挙げればキリがありませんが例えば、「幸せな一生を過ごしてほしい」や「健康に育ってほしい」などが多いかと思います。一方で親である私たち自身に目を向けてみると、健康でしょうか?幸せに過ごしている事でしょうか?

幸せになりたいと思っていても「何が幸せなのか?」「何をしたらその幸せを感じるのか?」「本当にそれが幸せなのか?」このような問いに対する所謂「幸せの定義」は明確に存在しているわけではありません。

私たちがここで強調したいのは、漠然と幸せや健康を考えてもなかなか本質にたどり着かないことです。子供からすれば幸せはおもちゃを買ってもらったとき、健康は熱を出してないときと思っているかもしれません。親は子供に生きることとは何かを教える必要があり、子供は自身で生き方を考え、決めていきます。

本分、自分の生き方

前回、アンパンマンのマーチを例に「本分」について触れました。「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ!」つまりアンパンマンは本分のことをしっかり意識していて、その本分については「みんなの夢をまもるため」と繰り返し言ってます。

弟子規研究所ではこれまでも「本分」を取り上げてきましたが、改めて定義を示したいと思います。

「本分」とは、自分の生まれ持った資質を理解し、やるべきことを理解し、資質を活用してそれを「やり尽くす」ことです。

『リーダーとして論語のように生きるには』車文宜・手計仁志 p200

本分を見つけるためには「人間関係構築力」と「自己認識力」の2つのチカラを高めていく必要があります。今回は前者について「父子」の観点から考えます。

5つの人間関係と父子の親

人間社会には、私たちを取り巻く5つの関係性があると言われています。それは「父子の親」「君臣の義」「夫婦の別」「長幼の序」「朋友の信」の5つで、五倫(5つの倫理)とも言われています。東京五輪ではないです笑

ここで一番初めに触れているのが「父子」の関係です。ただしここでは「親子」という意味なので母親も含まれます。もちろん父と母では子供への接し方も違います。具体的な役割の違いについては別の機会に書きたいと思いますが、お父さんだけではなくお母さんも一緒に読んで欲しいと思います。

さて「父子の親」とは、父母は子に対して親愛・慈愛を示し、子は父母に対して孝であるという両者の関係性を表しています。なお親愛・慈愛について『易経』という古書では次のように表現しています。

蒙以養正 聖功也
(子供を純正で無邪な品徳に育むことは、神聖な功業)
易経

ここでいう「正」とは以下のような意味です。
①子供が一生ずっと純粋で居続ける、天真爛漫で目がキラキラした状態を保つよう親愛・慈愛をもって育むこと
②子供が純粋で無邪気な品徳を、親や兄弟へ、社会へ、そしてすべてモノとの関係性に拡大していくよう親愛・慈愛をもって育むこと

父母は子に対して、いつまでも純粋な心をもって一生を過ごしていけるよう身をもってお手本として教育をします。一方、子は父母の正しい教えを学習します。このようにして、子は実践を通じて品徳を体得し、周りと良い関係性を築きながら徐々に影響力を発揮する範囲を広げていきます。

3つの教育方法

身をもってお手本として教育をすると書きました。現代社会の教育環境は座学あり、ワークショップあり、マンツーマンありと多様ですが、東洋思想では下記の3つにまとめられています。

①身教:身をもって教えること
②境教:環境の中の関係性をもって教えること
③言教:言葉や教材をもって教えること

座学は③の言教ですし、ワークショップは②、マンツーマンは①と③のミックスと言えるでしょう。

2つの学習の”道”

一方、学ぶ者としても2つの道があります。「孝道」と「師道」です。孝道は主に父母から実践ベースで孝行を学ぶこと、師道は主に先生(上司や先輩、友人も含む)から理論ベースで敬意を学ぶことです。

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孝道と師道

とはいえ父母も先生も、子供に持論を押しつけたり、コントロールしたり、資質を変えることはできません。教える立場として、自分自身が端正にふるまい、教化していくことのみです。まず「学為人師、行為世範(学んで人の師となり、行いて世の人の範となる)」ことを目指しましょう。これによって子は「青は藍より出でて藍より青し」が実現できるのです。

お父さんもお母さんも、子供との関係性つまり「父子の親」を正しい姿にすることは、五倫につながります。親子関係は、人間関係構築力の起点です。そして皆さん自身が「本分」を見つけ、自分の人生を幸せだと思えたとき、きっとお子さんも幸せを感じているはずです。

五倫の残り4つについては、また別の機会に書きたいと思います。

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車文宜・手計仁志

わたしたちと東洋思想の出会い〜本分を見つける旅〜

車文宜と東洋思想

東洋思想と聞くと難しそう、理解できない、習得に時間がかかる、学ぶ量が膨大、などという声が聞こえてきそうです。それならまだしも、はむしろ嫌いでした。

私が東洋思想にハマったのはイギリスへの留学がきっかけでした。当時最先端とされる西洋式研究など素晴らしいものを探しに行ったのですが、実はそこで見聞きしたものは幼い頃から聞いたことがあるような事が多く、徐々に意識が東洋に返っていきました。そして、自分の中で東洋思想を嫌っていた原因は、単に勉強不足による誤解だったことに気づきました。西洋でも、自然法則を解読し三千年前に体系化された東洋の智慧は、物事の道理や本質を見抜く力、善悪を判断する力を与えてくれるものとして認知されています。

それからの私の世界観は、大きくこれまでと異なりました。まず長く迷うことはなくなり、解決案がすぐに見つかるのです。そして、これまでの違和感がどんどん整理され、嫌な人や事柄に悩まされなくなりました。

一方で皆さんの頭の中には疑問が出てきたかもしれません。つまりのところ、東洋思想て何なの?何が学習できて、どんなことを得ることができるの?たくさん解説はありますが、私の実践した体験から解説しようと思います。

  1. 東洋思想は、私に本分を見つける材料を提供してくれました。

  2. 東洋思想は、私に命の運び方と、到達に向けての近道と加速を教えてくれました。

  3. 東洋思想は、私に自身の幸せを定義し、真剣に取組むための長期のモチベーションを預けてくれました。

皆さんはアンパンマンのマーチを聞いたことがありますか?歌詞付きの歌を貼り付けておきます。大人になってから聞くとじんわりしてきます。

「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ!」つまりアンパンマンは本分のことをしっかり意識していて、その本分については「みんなの夢をまもるため」と繰り返し言ってます。

そして、「なにが 君の しあわせ なにをして よろこぶ わからないまま おわる そんなのはいやだ!」と幸せについても言及していて、「今を生きることで 熱いこころ 燃える」については、命の運び方つまりは生き方そのものです。「時は はやく すぎる 光る星は 消える」は私達の人生が短いものという忠告そのもので、弟子規にも書いてあります。

「そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ どんな敵が あいてでも」ここまで言われると、この敵は自身の悪い癖のことを指しているんじゃないのかなぁ〜と勝手に深読みしてしまいます。

弟子規研究所を通して、私は皆さんが必要最小限の学習を通して、最大限の効果を得られるよう、ここで発信をしていきます。

車文宜

手計仁志と東洋思想

私が初めて中国と関わりを持ったのは今から約30年前の高校修学旅行で、北京観光をしながら市内の姉妹校と交流授業をするプログラムでした。姉妹校というのがこれまた北京市内の超エリート校で、1on1交流相手のお父さんは国際線パイロット、お母さんは英語教師、自身は完全寮生活と、絵に描いたような富裕層でした。

一方で街の人々はみな茶色か灰色の人民服、街全体がモノトーン、自転車の台数と声の大きさはケタ違い、という感じでした。田舎者で世間知らずだった当時の私はこの格差に衝撃を受け「なんなんだこの国とこの人たちは?!」という好奇心から中国語や中国経済を学び始めました。

数年後、大学生になった私は、交流相手に再会するため、そして覚えた中国語の腕試しにと、再度北京に一人旅をすることになります。友人は相変わらず大学の寮生活で会えず、安宿を拠点に市内観光をする日々を送っていたある日、友人から電話がありました。曰く「カネもないだろうし実家の自分の部屋が空いてるから泊まれ」と。日本ではありえない至近距離のおもてなしに戸惑いましたが、ご好意をありがたく受け入れ、なんと私は友人不在のまま、ご両親や兄弟が住むご実家に2週間も居候することになったのです。

そこで私は初めて、家族の一員の友人(つまり私)もまた家族のように扱うこと、目の前の「機会」や「縁」を受け流さないことなど、中国人の濃厚な人間関係に触れることになります。その後、社会人になり中国関係のビジネスに長く携わることになるのですが、「なんなんだこの国とこの人たちは?!」という当時の好奇心は常に持ち続けていて、それが結局いまの東洋思想への関心や弟子規研究所の活動につながっている気がします。

あの時の恩返しをするつもりで、弟子規研究所を通して東洋の良き教えを発信し、皆さんがそれぞれ「自分の本分」を見つけるための応援をしていきたいと思います。

手計仁志

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母の日に考える女性活躍

数年前にあるYouTubeが話題になりました。米国のAmerican Greetings社が制作したCM動画です。

「世界で一番過酷な仕事」と書かれた求人広告を見て応募してきた人が、面接官とWeb面接を行います。そこで文字通り過酷な仕事の内容が告げられていきます。この仕事内容は現場総監督であり、週7日24時間労働で休日は無し、医学や財務などの複数の知識が求められる。。このような厳しすぎる労働条件に求職者たちは「ありえない」「クレージーだ」と呆れますが、そのあと誰もが予想しない展開が訪れ、納得と感謝があふれます。これ毎回泣きます(笑)

皆さんはこの動画を見てどのような感想を持たれたでしょうか?母になった人であれば「当たり前だよ」と軽く思うかもしれませんが、この仕事は本当に過酷です。母の偉大さを再認識させられます。

女性活躍推進

私(車文宜)は女性ですが、昨今の「女性活躍推進」の論調には反対です。理由は、女性は男性に比べて経済価値を創出できていない為「もっと活用しよう」とか「そのための仕組みを作ろう」という風に聞こえるからです。

国民の半分にあたる女性が家に居たり時短で働いているのは、会社経営や経済学の視点で見れば「創出する経済価値が少ない」と見えるかも知れません。しかし私たちは経済の世界にのみ生きているわけではありません。GDP数値には表れない労働もあります。それを無理やり経済価値に置き換えようとすることに違和感があります。

女性活躍 in 経済社会ではなく、女性活躍 in 人間社会と捉え直してみてはいかがでしょうか。女性は大地です。万物を載せ、成長させるという重要な存在だとすると「経済価値を生み出すための優秀人材を育てる」という女性の重要な仕事があるのです。

◆女性らしさ、女性の役割というと反発がありそうですが、言い換えれば女性の特権でもあります。なぜ女性が大地なのか、また男尊女卑の本来の意味については前回書いていますのでご参考にどうぞ。

賢妻良母

この「優秀人材を育てる世界で一番過酷な仕事」について、古来東洋には「賢妻良母(日本語では良妻賢母)」という言葉があります。妻として賢くなり、その経験から良い母になるという意味です。昔はおばあちゃんが側にいて教えてくれたり、「女徳」という女性に対する専門教育もありました。しかしこのような教育も、この言葉自体も差別用語だとして、中国の学者でさえ批判された過去があるようです。

女性への専門教育を批判する一方で「女性に自由を!」と訴えても、結婚した瞬間に家の管理ができる賢い妻になれたり、働きながら突然良い母になれたりするわけではありません。子供ができてから急いで子育て本を買ってあれこれ試したけど期待通りにいかなかったり、男の子と女の子の育て方が違うことに後から気づいたり。。動画にもあったように交渉力、交際力、医学、財務、栄養学などの能力や広い知識、マルチタスク、そして体力が必要です。女性の社会進出と、母親による児童虐待育児放棄の件数が比例しているように思うのは私だけでしょうか。

子育て最重要ポイント、親孝行

弟子規研究所では『弟子規』という古来の教育書で書かれている内容をベースに、子供向けにどどまらずビジネスリーダーや子育てをするパパママ向けにその活用方法を発信し、みなさんそれぞれの実践をサポートします。

今日は母の日ということで、子育ての最重要ポイントをご紹介します。近年の風習で子供の成長に悪影響を与えていると感じていることの一つが「誕生日のお祝い」です。『史記』の中に「父憂母難日也」という一文があり、古来東洋の風習では子の誕生は父の畏怖の日、母の苦難の日とされていました。したがって子の誕生日は、本来は父母への感謝を示し親孝行をする日とされていました。

子供が社会に出る前までは、父母との関わりの中で他者と自身の感情を学習します。どんな言動によって人は喜怒哀楽を感じ、影響をされるのかを学習します。「誕生日のお祝い」で子供を主役にしてしまうことで、子供は父母への孝行を忘れ傲慢になってしまいます。子供の意識を自分に向けさせるのではなく、まずは親や家族に向けさせ、他者思いができるようサポートしましょう。

そのために何から始めるか。子供の誕生日に突然「パパママに感謝しなさい」といっても子供も困惑してしまいます。まずは皆さん自身が誕生日に父母への感謝の気持ちを伝えてみるのはいかがでしょうか。きっと子供もそれを見ているはずです。

母の日と父の日が増えましたね。しかし、親には感謝しつくせないほどの恩恵をいただいています。

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車文宜&手計仁志

東洋思想から考えるジェンダー論③

このテーマは3回に分けて書いていて今回が最終回です。第2回で西洋では社会的性別(gender)と生物的性別(sex)を「分けて」捉えていることを紹介し、さらにはその歴史的背景や細分化について書きました。

最終回では、東洋ではなぜ社会的性別と生物的性別を「分けない」のか、さらに古来東洋の性別論では実は女性の方が偉大とされてきた!ということについて書きます。

東洋はなぜ、はっきり分けないのか?

そもそも東洋の「分けない」考え方は、紀元前8世紀ごろに書かれた『易経』の中心思想である陰陽の影響を大きく受けていると言えます。この図を皆さんも見たことがあるかもしれませんが、何を意味しているのでしょう?

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陰陽を表す「太極図」

まず白と黒は「相反するもの」を表しています。東洋でも「分けてる」じゃん!と言われそうですが、その分け方には以下のような特徴や陰陽の性質があります(諸説あり)。

①片方が先細ると逆の片方が拡がる(極論までいくと逆の性質になる)
②片方の中に逆の色の点が存在する(己の存在に逆の要素も含まれる)
③2つが揃って円満になる(己が成立するために逆の存在が欠かせない)
④直線ではなく曲線で仕切られている(互いの関係は常に変動する)

つまり陰陽は、2つの気の対立と統合を表し、宇宙の万物を作り、その変化の法則を説いています。白と黒を分けてみても、白は黒に影響を与えながら同時に黒からも影響を受け変化しています。そもそも黒という概念がないと白も成り立たないし、たとえ分けても片方だけでは存在できない。世の中のものごとは「常に相互作用していて、結局つながっている」ということをこの図は表しています。

例えばこの②の性質は人間にも見ることができます。男の子がママに似る、女の子がパパに似るというケースって身近でありませんか?これは男女が二極化を極めないように、お互いの要素を取り入れる自然界のプログラミングなのです。本当に良くできています。

このように東洋では社会的性別と生物的性別を分けないし、男と女でも違いはあれど相互に影響しあっているため、西洋のように白黒ハッキリ分けません。性別に限らず東洋思想はものごとの本質を「一体」と捉えます。

皆さんもぜひ、大自然の移り変わりに目を向けてみたり、二極化しているものの関係性に上記①~④の性質があるか観察してみてはいかがでしょうか。

「男尊女卑」は女が偉大?!

さて、東洋の男女性別論です。ここで、もはや完全に市民権を失った「男尊女卑」という言葉について、その元来の意味を紹介させてください。

この言葉も!元々は『易経』に出てくる「天尊地卑」という言葉に由来しています。天は男に、地は女に例えられました。卑には「みすぼらしい、とるに足りない、低い」と辞書にありますが、ここで最後の「低い」に由来して「謙虚、謙遜」という意味が当てはまります。下記に尊卑の正しい読み方とその意味を示します。

〇:天は尊(たか)く地は卑(ひく)し
✕:天は尊(とうと)く地は卑(いや)し

尊:尊敬、尊重、品格が高尚、正しい、真っ直ぐ
卑:謙虚、謙遜、寛容、安心、親切、差別しない

つまり「男は高い天のように真っ直ぐ正しく、女は低い大地のようにあらゆる生き物を育む」というのが古来の「男尊女卑」の意味だったんです。

陰陽において、女性は陰、男性は陽です。どちらがより偉大という考えはないのですが、始まりは陰です。男女においては、国を治めるため君子つまり男性に対する教育が目立ちますが、その男性が細胞のときから胎内教育をしているのが母親です。

東洋思想の文献を見ていくと、娘として、妻として、母として、嫁として、姑として、祖母としてなど役割ごとに教育本があります。このことから、女性は国を治める因をつくり、男性は国を治める果を収める関係だと分かります。

すべての動物や植物は豊かな大地で生まれ、育まれます。そして大地は「あの命は好きだけど、この命は嫌い」などと選り好みしません。女性には大地のようにいつも謙虚に万物を受け入れる大きな包容力と成長させる能力があるとされています。「母なる大地」は偉大なのです。

まとめ

1回目では西洋の「ジェンダー」と東洋の「性別」の違いを、2回目では西洋で女性の社会的立場が男性より低いという背景やその反発過程で生まれた新しい細分化を紹介しました。3回目は東洋においてものごとを「分けない」ことを陰陽から解説し、さらに男尊女卑の古来の意味と女性の偉大さにも触れました。

最近のジェンダー論について思うのは、このような前提の違いが炎上を引き起こしてるのでは?ということです。洋の東西でさまざまな考え方がありますが、古来より受け継がれてきた文化の上に、外から輸入された新しい概念をそう簡単に定着させることはできません。

相反するものを切り分けるのは、コミュニケーションにおいて何を指しているのかを明確にするためであり、優劣をつけるためではありません。みなコミュニティの中で生きいて、それぞれの役割があり、常に相互に助け合っています。天地がつながっているように、個々人も結局つながっているのだと考えます。

車文宜&手計仁志

東洋思想から考えるジェンダー論②

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このテーマは、3回に分けて書いていきます。今回は第2回です。

西洋のジェンダー論を考える

東洋思想から考えるといいつつ、今回はまず西洋のジェンダー論についてまとめてみます。これは陰陽の考え方にも通じますが、対極にあるものを知ることで、対極の視点から自分たち(東洋人)を見つめ直したときに改めて理解が深まると考えるためです。

第1回で、英語では人間の性別を社会的性別(gender)と生物的性別(sex)に区分していると紹介しました。生まれ持った生物的性別がどちらであるかとは別の視点で、社会的性別を「ジェンダー」として認知するという考えです。

ジェンダーは元々、生物的性別とは別にある自己意識を区分するために生まれたようですが、20世紀初頭から認知され始めたジェンダー論では、男(man)は男らしく、女(woman)は女らしくという、それぞれ社会的な「役割」を期待されるようになりました。例えば、当時は男性は杖を持つのが当たり前、 女性はコルセット(クジラの骨で胴体を締め上げる)をつけるのが当たり前、徴兵され戦場に行くのは男性、内地の工場で労働に従事するのは女性、という具合です。

ジェンダーに関する背景と用語

一方で、このようなジェンダー論は男女の社会的地位や役割分業に差があり、何より「女は男より劣る」という発想が根本にあるとされ、その反動として1970年代ごろからジェンダーフリージェンダーレスという言葉が生まれました。さらには、最近よく聞くダイバーシティ&インクルージョンですらもう古く、インターセクショナリティが台頭しているとの声もあるようです。

ジェンダーフリーは「性別による役割制限や差別を無くし、自らが望む選択をできる」とする考え方です。男性だから育休を取れない、女性だから昇進できないなどの差別や、性的マイノリティへの差別を無くすことを目指しました。その象徴となったのがココ・シャネルです。前述の窮屈なコルセットに代わり、機能的でモダンなドレスやジャージを世に広め、女性を解き放ち自由に生きることを後押しをしてくれるブランドとして確立しました。

ジェンダーレスは「性別そのものの境界線を無くす」という考え方です。例えば、性別に関係なく着られる衣服などをジェンダーレスファッションなどと呼びます。最近では学校の制服やランドセルも男女で区別がないようにしたり、看護婦と看護士という呼び名を看護師に統一したり、日本でも浸透が進んでいます。

インターセクショナリティは、個々のアイデンティティが組み合わさり形成される「社会的特権」や「抑圧」を理解するための枠組みです。ここでは深く書きませんが、下記の図で分かるように、社会的特権にある要素が多ければ優位に立ち、その逆は差別の対象となるようで、女性や非異性愛トランスジェンダーを含みます。

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抑圧と特権のベクトルの交差(Wikipediaより)

男女の差を埋める≠同一化

社会的性別と生物的性別を区別したり、個々のアイデンティティを「細分化」したり、さらにそれらを国際社会において考えるとき一筋縄では行きません。大変複雑な差別の交差が存在します。しかしこれに対して、安易に男女平等という大義名分を借りた「同一化」を助長していないでしょうか。

「男女がみな平等に同じデザインの衣服を着ましょう」とはならないし、「トイレもお風呂も平等に共同利用で」ともならないと思います。注意したいのは西洋の女性の社会的立場が男性より低いという前提です。それを「イコール」にしましょうという発想は、ここに来てもやはり東洋の「平等」とは同じ意味ではありません。

東洋思想の個へのこだわり

第1回でも書いたように、漢字では社会的性別も生物的性別も「男女」と表します。東洋思想の特徴は細分化しないことですが、一方で「個人」には強い意識が向かいます。「自分にしかない価値を持った人」の集合体が社会を形成します。そして「平等」とは、それぞれ個々が自分にしかない価値を社会に提供することで生まれます。

したがって、男性にしか提供できない価値もあり、女性にしか提供できない価値もありますが、東洋思想はそれ以前に「天上天下唯我独尊」と考えます。これは「宇宙の中で私より尊い者はいない」という意味ではありません。「宇宙の中で唯一無二の一人一人の我の存在がそれだけで尊い」という意味です。

次回の予告

西洋の「明確に細分化する」という考え方に比べて、東洋の「なんとなく全体で捉える」という一見して曖昧と思える考え方には、なにか良い部分があるのでしょうか。私たちはなぜ「分けない」のでしょうか。

そして、社会的性別と生物的性別を分けない古来東洋の性別論では、実は女性の方が偉大とされてきました。それを「男尊女卑」といいます。え?男尊女卑って逆の意味じゃないの?と思われた方へ。そうなんです、実は逆なんです。唯我独尊もそうですが、多くの言葉は2~3千年前に生まれたため、後世で徐々に誤解が生まれました。続きは第3回にて。

車文宜&手計仁志

東洋思想から考えるジェンダー論①

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このテーマは、3回に分けて書いていきます。今回は第1回です。

ジェンダー発言にまつわる炎上

NTTの澤田純社長が入社式のあいさつで、「男女で能力や特性の得意な分野が違う」などと発言したことがメディアやSNSで大きく取り上げられました。平たく言えば炎上です。。

そういえば、東京オリ・パラ大会組織委員会森喜朗会長(当時)も「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という趣旨の発言をし、それが原因で辞任しましたね。。

この手の炎上はなぜ無くならないのでしょうか。批判して、炎上して、時が過ぎたら忘れられてまた起きて、、私たちは学習する必要があります。今回はこれらの問題について東洋思想の観点から考えてみたいと思います。もしかしたら私たちも炎上するかも知れませんが。。あえて切り込んでみます。

社会的性別と生物的性別

まず人間の性別を定義する際に、漢字の場合は、社会的にも生物的にも、人間である限り男と女に区分されます。動物は雄と雌に区分されます。

これが英語では、社会的性別(gender)と生物的性別(sex)によって区分名が変わります。前者の文脈では男女はmanとwomanに区分され、後者ではmaleとfemaleになりますね。動物も後者で区分されます。

なお近年では、性的な先天的志向と後天的嗜好は異なる場合があること、性別は二極ではなく勾配があることなど、その多様性が社会で認知されていることを添えておきます。

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整理すると上の表のようになりますが、ここで男/女と雄/雌、man/womenとmale/female、それぞれの区分領域が漢字と英語で違うことにお気づきでしょうか。この違いに、実は炎上の原因があるのではないかと考えています。

男女性別という概念

そもそも「男」「女」という漢字は、紀元前1300年ごろから使われ始めた甲骨文字の中に、既にその原型があります。

「男」は上部が「田んぼ」で、下部は「畑を耕す農具」や「男性器」とする説があります。いずれにしても農耕作業における力強さを表現しているといえます。

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男(甲骨文字)

「女」は左を向いてしとやかに跪(ひざまず)く様子、左部の突き抜けは胸部、上部の突き抜けは頭部の装飾品を表すとされています。跪く姿は、神霊に仕えるためともいわれています。

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女(甲骨文字)

こうして男女の漢字の成り立ちを見ると、生物的な違いに加えて、社会的関係性も含めて表現されているように思えます。肉体性に優れる「男」は主たる労働者であることを示し、精神性に優れる「女」は神事を司るなど、言い換えれば、生物的性別に包含される形で社会的性別が存在しています。

ジェンダーという概念

次にジェンダー(gender)という言葉について考えてみます。諸説ありますが、元々は生物的性別(sex)と自身の性認知が一致しない人が出てきたことから、男と男らしさ、女と女らしさをそれぞれ区分するために1970年代の西洋で定着し始めたとされています。また日本では、1986年に男女雇用機会均等法が施行された背景から、1990年代に社会的性別という意味合いで定着し始めました。

一方で、社会的性別が生物的性別と切り離されたことにより、性別による分業思想からの脱却として、「性別による役割制限や差別を無くし、自らが望む選択をできる」ジェンダーフリーという考え方も生まれ、徐々に市民権を得てきました。

前提の違いが炎上を生む

さて、冒頭の炎上事例に戻ります。まず前提として、社会的性別(gender)と生物的性別(sex)の捉えかたについて、話し手と聞き手の認識が違います。

話し手が男女の能力や役割の違いについて触れたとき、聞き手は「(社会的性別において)能力や役割の差があってはならない!」や「男女だけに留まらずそれと異なる人はどうする?」などの反応がありました。しかし、これらの反応は話し手にとっては「(生物的性別においても)能力や役割の差があってはならない!」との批判に聞こえてしまうのではないかと分析します。このように性別区分における前提が違うままに相手の発言に反応してしまうことが、最終的には炎上につながるのではないかと考えられます。

次回予告

東洋では社会的性別と生物的性別を区分せず男女と表します。西洋では社会的性別(gender)と生物的性別(sex)を区分し、前者はman/womanと、後者はmale/femaleと呼び分けます。今回は、その違いが生み出す炎上について考えてみました。

では、社会性と生物性を切り分けた西洋では、どんなジェンダー論が発達していったのでしょうか。今やジェンダーフリージェンダーレスを求める西洋でも男女不平等は存在していました。2回目はその点についても書いてみたいと思います。

車文宜&手計仁志

弟子規研究所、開設。

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ごあいさつ

 初めまして。車文宜(CHE Wenyi)と手計仁志(TEBAKA Hisashi)です。このたび2人で弟子規研究所という活動を始めることにしました。

 このnoteでは、日頃の社会やビジネスで起こる出来事を『弟子規』の視点から眺めてみて、その本質や善悪の基準を読み解いてみよう!という内容を発信していきます。

 あまり肩ひじ張らずに、私たちが日頃感じたことや考えたことなどをツラツラと書いていければと思います。皆さんもお気軽に読んでいただければ嬉しいです。

『弟子規』とは

 まず「『弟子規』ってなに?」と多くの方が思われたことでしょう。ご興味を持っていただきありがとうございます。「ていしき」と発音します。『弟子規』をご紹介するために、まず『論語』について解説させて下さい。

 『論語』についてはご存じの方もいるかと思います。紀元前5世紀ごろに、孔子が説いた教えを、後世になって弟子たちがまとめた言行録です。日本には5世紀頃に伝来したとされています。「温故知新」や「四十にして惑わず」などの言葉は日本でも広く知られていますね。

 そこから18世紀まで時代がくだり、中国のある教育者が「でも『論語』ってさ、べき論は書いてあるけど結局どうすりゃいいの?てみんな思うよね」と考えました。そこで『論語』からエッセンスを抜き出し、子供向け英才教育として、また大人も『論語』を「行動ベース」で実践できるように、という趣旨で書きまとめた教材が『弟子規』です。

 平易な内容もさることながら、『弟子規』が工夫されていると思うのは、1つの文章がすべて6文字で、しかも韻を踏んでいることです。つまり子供たちは、それを「読む」のではなく「唄う」ことによって覚えるのです。昔の人は賢いですね。いわゆる「わらべうた」に生活の知恵を込めて唄い繋いでいこうという文化は、中国も日本も同じなのかも知れません。中国語なので聞いても意味が分からないかも知れませんが、一応「うた」を載せておきます。

 

そんな『弟子規』は、いま中国でその価値が再評価されています。児童教材としてだけではなく、社会における道徳や秩序を示し、その中で自分の本分を尽くすことなどを説いたリーダー育成書として、ビジネス界でも活用され始めています。

弟子規研究所の役割

 次に「あななたちは誰?」と多くの方が思われたことでしょう。私たちは、日本のHR領域でそれぞれ活動しています。そんな中で、毎日ビジネス活動をがんばっている日本の皆さんに『弟子規』を紹介したいと思い、2019年に『リーダーとして論語のように生きるには(クロスメディア・パブリッシング)』という本を出版しました。

 『弟子規』を始めとした東洋的なモノの考え方の中には、人間関係で信頼されるための不変的な規範、問題解決や目標設定のポイントなど、次世代のリーダーが備えるべきスキルがたくさん詰まっていると考えたためです。

 環境破壊、格差、感染症など、地球規模で先行きが見通しにくい社会だからこそ、物事の道理や本質を見抜く力、善悪を判断する力が求められています。一方でそのような力がSNSで埋もれ、正当に認められない社会になっているとも感じています。

 弟子規研究所では、文字通り『弟子規』の研究活動や発信を通じて、皆さんが自分自身の「本分」を見つけ、尽くしていけるような社会を目指します。

 また皆さんから、『弟子規』の考え方を当てはめたら「いま起きている物事がスッキリ理解できた」「何をすべきか明確になった!」「成果に繋がった!」などの具体的事例もぜひお寄せいただきたいと考えています。

 東洋思想?中国の昔の本?日頃なじみが無い方には、やや抵抗感のある内容かも知れませんが、本よりも少し柔らかい内容で、できるだけ分かりやすく皆さんにお伝えできればと思います。

 共に学び、実践していきましょう。宜しくお願いします。

車文宜&手計仁志